【其の参】

  1. 酉の市(羽子板市)

    萬盛庵には門が二つあった。富士横丁通りに面した方を表門、三社様裏に面した方を三社門と言った。此の門の三、四間先に九代目団十郎の〈暫〉の銅像があった。その日、必ず亡き九代目のお内儀さん、まだ朝ない頃のオカッパ髪の翠扇さん、猿翁のお母さんで踊の名手といった方々と御一緒で萬盛庵でそばを食べる。又、この日、…

  2. 文人墨客

    浅草オペラ、カジノ、フォーリ全盛時代がやって来た。『蕎麦辞典』に、往時を回想して女優望月優子は、「私たちは、川端先生につれられて、お座敷のある座って食べられる、その萬盛庵で年越そばを食べる風習を知った。」と述懐した。同時に川端先生の小説『寝顔』にも萬盛庵は出て来る。〈 浅草の鳩も寂しく思ふらむ日…

  3. 鍋焼きうどん

    むかし、鍋焼きうどんは屋台で売られていた。薄切りの蒲鉾、油揚、せいぜい気張って浅蜊の天ぷら、などが入っていた。或る時、滅多に店へ寄りつかぬ勝三郎の六番目の倅六郎がふと舞戻り、寄鍋のような、上等な鍋焼うどんをつくったらと発案、中へ入れる種は三橋の蒲鉾屋で別揃えさせた、小ぶりの半ぺん、結び白瀧、椎茸、庄…

  4. 三社祭

    此の庭には絶えず二、三人の脚絆姿の庭師がいて、年中殆んど手が切れた時がない程、日々庭木の手入れがされる。三社祭の頃になると、離れの一つを青竹で囲み、店に伝わる御輿や四神剣を飾る。其処に町内の頭連が集まって祭の相談、話が熱してくると頭の中には、つくばいの処で諸肌ぬいで、倶利伽羅もんもんの躰を拭く。「と…

  5. 店構え

    去年、エッセイストクラブ賞を受賞なさった沢村貞子さんの『私の浅草』の中に、萬盛庵物語という一編がある。それに店構えが次の如く描かれている「むかし、浅草の観音堂の裏手一帯は、奥山と呼ばれていた。私が子供のころ、そこに萬盛庵という大きなそば屋さんがあった。大通りから観音さまへ抜ける路の角にある、船板…

  6. お酉さま

    もの日の中でもお酉さま立混みはきわだって忙しく、二、三日前から何百という天婦羅を仕込んで、祖父の隠居所の前の廊下に高々と積み上げる。その日が晴天なら、瞬く間に売り切れるが、雨でも降ると玉やになる。祖父は日に何度となく縁側から空模様を眺め、「怪しいな大丈夫だろう・・・いや、大丈夫だ」と呟く。母に萬盛庵…

  7. 萬盛庵の風景

    植原路郎著『蕎麦辞典』に「大正末期まで鳴らした浅草(観音堂裏)の萬盛庵は東京名物の一つであった。趣味人渡辺一雄氏は、〈三社様の裏手に在り、門に宝井其角の筆になる萬盛庵の扁額を掲げ、離れがいくつもある庭に人丸神社を祀り、諸事風流好みの店であった。ここの天婦羅そばは看板であった|〉天婦羅そばでは…

  8. まぼろし奥山萬盛庵

    小学校五、六年の頃、疎開先の土浦の田舎に居て、日々つまらなく、絶えず空腹気味だったから気だるくて動かずごろごろ寝転んでばかりいた。ラジオも中々手に入らず、仕方が無いから、押入の茶箱から、手当たり次第古い本を引っ張り出して読んでいた。矢田挿雲の『江戸から東京へ』という部厚な本も、そんな風にして…

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