萬盛庵には門が二つあった。富士横丁通りに面した方を表門、三社様裏に面した方を三社門と言った。此の門の三、四間先に九代目団十郎の〈暫〉の銅像があった。その日、必ず亡き九代目のお内儀さん、まだ朝ない頃のオカッパ髪の翠扇さん、猿翁のお母さんで踊の名手といった方々と御一緒で萬盛庵でそばを食べる。又、この日、欠かさず見える方に、先代吉右衛門御夫婦、ごった返すたて混みに、仕方なく祖父の隠居所にお通しすることもあったと言う。同時に猿若町から、小道具藤浪さん御一行が賑やかに繰り込んで来る・・・。「しかし、昔の人は人使いが荒かったねぇー」と、おふくろが述懐する。店の者、朝の八時から午前一時まで、ぶっ通しで働かされた。春のおだやかな昼下がり、突出しの縁側で女中がひとり気持ちよさそうにうたた寝をしている。そのたすきがけ、黒繻子の襟といわず、唐桟柄の着物といわず、髪の毛から辺り一面、桜吹雪が降りかかり、一幅の絵のようだった、と言う。「かつての萬盛庵は、今はそれを偲ぶばかりで、環境一変し、まぼろしとなって、われわれの脳裡に迫るばかりである」と、ものの本にもあるが、私にとっても遂にわが萬盛庵は、幻となって終わるのか・・・。