旧慣を伝えているそば屋では、店の入口に近い出格子に、榎の一枚板、木彫りの看板をかけている。これにも二た通りあり、一は横長の板にしたもの、他の一つは、榎の大木を胴切りにしたもの。いずれにしても、木目の美しさを見せている。(近ごろでは一般に数すくなくなったが、東京でも浅草、新吉原方面にはまだ残っている。) 「生蕎麦」の文字の下書きは、しかるべき書家に依頼したのもある。大正初期まで隆盛を極めた浅草萬盛庵のそれは、宝井其角の筆蹟であった。彫りの凹みには、店の好みにより、緑青色で染め出したものもあり、逆に文字を凸面にして黒漆で浮き出して塗ったものである。要するに、看板は店の歴史を語るものであり、一城の標識でもある。したがって下にもおかぬ扱いをする。終業と同時に、店の責任者が注意して、奥へしまい込む。「かんばんの時刻」「かんばんになった」という言葉は、これから出たもので、世間では、おでん屋や小料理屋などが、この語を利用を借用して、夜おそくやって来た客に「もう、かんばんになりました」というが、いまだかつて、それらの店が看板を蔵い込むのを見たためしはない。ただし暖簾もかんばんと言えないことはないが、いささか見当はずれである。