浅草オペラ、カジノ、フォーリ全盛時代がやって来た。『蕎麦辞典』に、往時を回想して女優望月優子は、「私たちは、川端先生につれられて、お座敷のある座って食べられる、その萬盛庵で年越そばを食べる風習を知った。」と述懐した。
同時に川端先生の小説『寝顔』にも萬盛庵は出て来る。〈 浅草の鳩も寂しく思ふらむ日ごろ見慣れしわれを見ぬため 〉と詠んだ吉井勇先生は、当時しきりに浅草へ出没した。大勢の取まきの方と萬盛庵へ繰り込んで来る。そば屋は、文人あるいは有名人が来ても、別段いちいち主人が挨拶に出向かない。が、おなじみ吉井先生だけは母が挨拶に出向くことがあった。お仕事で京都にいらっしゃると、〈萬盛庵のそばがき食いたし〉と葉書がくる。店に先生の色紙、短冊あまたあったがそれもすべて灰燼に帰した。