「江戸から東京へ」より 矢田挿雲著

本堂裏、蕎麦屋萬盛庵内にある人丸堂の本尊は、頓阿の作と伝えられ、往古の風流人がここに会して、人丸忌の歌や俳諧師西山某が堂側に住んで、堂守のような暮らしをしたのちは、しばらく風流人と縁が絶え、幾度か代がかわって、田所長十郎なる文身師(ほりものし)の住居となった。しかし文身と敷島の道とは、全然没交渉なので、長十郎は人丸が何やらさらに知らず、堂の建石を掘り起こして、自分の庭の敷石または沢庵石にし、その後象潟町へ転居のさいは、堂だけのこし、目星い石をみな持ち去った。宗因、芭蕉、其角の句を刻した碑が、沓脱石になるという有様で、斯道の宗匠連、涙にむせんでおそれ多かったが、田沢の後が万盛庵となるに及び、人丸堂も小綺麗に修復され、世継の碑は、江崎礼二その他数十名の有志の手で、五百羅漢の付近に建設された。

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