「中国料理 耕治」は小倉の地に九州初の東京風醤油ラーメンを誕生させました。

大陸から切り離された沖縄にヤンバルクイナが生きのびたように、東京から遠く離れた小倉に東京ラーメンが残った。ともに奇跡に近い。中華料理店「耕治」の常連、なかでも東からの転勤族はここで東京の味を懐かしんでいる。「種子島」の鉄砲のような真っ黒なしょうゆラーメンを持って駅前の闇(やみ)市にやって来た《宣教師》は、浅草生まれの平野耕治という青年だった。山本周五郎の小説によく出て来る「浅草の観音様」裏道のそば屋の末っ子。東京大空襲で一家は離散し、平野少年は焼け跡で戦災孤児みたいな生活を送る。兄嫁の実家がある小倉へ来たのは、戦争の影がやっと消え、太陽族がはやったころだった。ウドンから始まって天丼、カツ丼、チャーハンからいなりずしに至るまで、しょうゆの「うずっ黒さ」を拒絶する「白信仰」の地。そこに、しょうゆラーメンを布教する苦労は筆舌に尽くし難かったという。「ふざけるな」「こりゃウドンのつゆだ」「辛くて食えん」と、席をける玄海育ちに、浅草育ちはくちびるをかんだ。孤立無援の《宣教師》を励ましたのは、占領軍のGIならぬ東京から派兵された企業戦士だった。とくに新聞記者たちは紙面で賛美歌を合唱した。以来、三十年。最近、わざわざ訪れたキッコーマンの社長は「長い間、よくぞこれだけしょうゆを使ってくれました」と礼を述べたという。平野さんは、53歳になった。永六輔さん(52)の話 小倉で浅草を相続している。人も味も。不思議だなぁ。

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